2009年12月17日

ソビエト連邦内陸部では

ソビエト連邦内陸部では、塩湖であるカスピ海の水を淡水化して飲料水としている。カザフスタンのアクタウ原子力発電所では熱源として高速増殖炉BN-350を利用した海水淡水化が行われていた。生産水量は日量12万トン。この原子炉は老朽化したことと、カザフスタン政府による国内の原子力発電所全廃の方針により1999年に停止され、その後は稼動していない模様である。
前述のとおり、海水を低温蒸発させるフラッシュ方式、常温加圧する逆浸透法ともに造水したままの清水は飲用には適さない。造水された清水は低温処理を施しただけなので殺菌しているとは言えない。飲用する場合は加熱殺菌して飲用することが望ましい。

海水から製造された淡水は、陸上の淡水と比べて溶け込んでいる物質の組成が大きく異なるため、この方式で作り出された淡水はひどく不味いと言われる。このため、生産された淡水は、ミネラル分を添加、またはイオン交換樹脂を使って一部のイオンを除去するなどして味を調整した後に給水される。

原子力潜水艦、中でも戦略パトロールに赴く弾道ミサイル原子力潜水艦は、作戦中は寄港せずに海中で数ヶ月を過ごす。この間の酸素と飲料水は原子炉をエネルギー源として海水から造り出される。また原子力空母や大型艦艇の多くも海水を淡水化して需要に当てている。

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日本の関西電力や九州電力のいくつかの原子力発電所では、逆浸透膜を使った海水淡水化プラントが併設され、発電所内の真水需要を満たしている。

また、外洋航路の民間船舶にも、小型のフラッシュ法や逆浸透法を利用した海水淡水化設備が搭載される。フラッシュ法では船舶のエンジンやボイラーの余熱を有効利用するものが増えている。但し、ボイラーの蒸気の源を海水とする場合は、フラッシュ法で得た淡水を更に逆浸透膜(またはイオン交換樹脂)で処理し、純水に近い水としてから用いる必要があるため、両者が併用される形となることが多い。

2009年12月01日

冬(ふゆ)は四季の一つ。一般的に、一年中で最も寒い期間を指すが、二十四節気や旧暦のように、一年中で最も太陽高度が低く夜が長い期間を指すこともある。

北半球では1月が一番寒さが厳しい。南半球は季節が逆になるので7月が冬となる。

日本の気象庁では一日の日最低気温が0℃以下の日を冬日(ふゆび)、また、日最高気温が0℃以下の日を真冬日(まふゆび)と呼んでいる。温暖な中国四国地方・九州以外では、このような日は1月を中心に前後の毎年12月から翌年3月頃にかけて発生するから(ただし、年や地域によっては、11月・4月でも生じる場合もある)、この時期のあたりが冬の範囲に入る。なお、南半球では6月~8月あたりが冬となる。
社会通念・気象学では12月・1月・2月。たとえば「暖冬」「厳冬」などはこの3ヶ月の平均気温で判断する。
寒候年・1年間の間で1月、2月、12月とすると1シーズンとしての冬を評価できない。そのため1月、2月を含む年をそのシーズンで括る。たとえば、「2009年の冬」といった場合、2008年の12月、2009年の1月、2月である。また、「2008/2009年冬」という書き方をする。初雪・終雪の日など11月以前、3月以降になることのあるようなものもこの定義による。
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二十四節気に基づく節切りでは立冬から立春の前日まで
旧暦による月切りでは十月・十一月・十二月。上に近いが、最大半月ずれる。
年度では1月・2月・3月。英語ではこの3ヶ月をwinter quarterと呼ぶ。
天文学上は冬至から春分まで。ここでの「冬至」「春分」は、「冬至の日」「春分の日」ではなく太陽黄経が270°、0°になった瞬間。
西洋では伝統的に、冬至(の日)から春分(の日)の前日までとすることがある。
熱帯地方では「冬がない」、極地方では「1年中が冬」とされることがある。
積雪や海の凍結がある地方では、その始まりを冬の始まりとし、融雪や解氷を冬の終わりとすることがある。

2009年11月27日

風刺画の詳細

問題の戯画には"Muhammeds ansigt" ("ムハンマドの顔")という題がつけられている。記事は12の戯画(その全てがムハンマドであると特定できるわけではない)およびユランズ・ポステン文化担当編集者のフレミング・ローズのコメントで構成されている。コメントは次のとおり。

イスラム教徒には近代的で非宗教的な社会を拒絶する者が存在する。彼らは特殊な地位、つまり彼ら自身の宗教上の意識に対する特別な配慮を要求している。このことは、侮辱や皮肉そして揶揄に耐えなければならない、現在の民主主義および報道の自由と両立しない。この事実は必ずしも眺めのいいものではないが、宗教上の意識はいかなる代価を払っても嘲笑する必要があるわけではなく、現代社会における宗教上の意識の重要性が低いことを示している。[...] 我々は自己検閲がどのように終わるかを誰もが説明できない状態に陥りつつある。ユランズ・ポステンがデンマークの戯画作家にムハンマドの漫画を描くよう要請した理由はここにある。[...]
12の戯画を記事における位置に従って時計回りに説明する。:

ムハンマドの顔にイスラムの星、三日月が描かれている。右目が星、三日月は顔の輪郭を覆っている。
ターバンが爆弾に模されたムハンマドの顔。点火されている導火線およびイスラムの教義が描かれている。12の戯画のうち最も議論を呼んだものとされる。
三日月状のハロを頭に添えて立つムハンマド。三日月の中間部はぼやけており、残りの部分は角のように見える。
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5つの横顔の殴り書き。それぞれの顔はダヴィデの星と三日月で構成され、短文が付されている。"予言者よ、この野郎!女どもはちゃんと縛り付けておけよ!"
日が没しつつある砂漠を放浪するムハンマド。後方にはロバが見える。
神経が高ぶっている漫画家がムハンマドの顔をかきながら周囲を気にしている。
剣と爆弾を手にしている2人の怒り狂ったムスリムに対して、指導者が話しかけている。"落ち着きたまえ友よ。結局のところこれは南ユトランドの不信心者の書いた絵にすぎん。"

2009年11月13日

絶対王政

絶対王政(ぜったいおうせい)とは、王が絶対的な権力を行使する政治の形態を指す。絶対主義や絶対君主制とも呼ばれる。

この記事では、16世紀から17世紀のヨーロッパにおける「絶対王政」について述べる。
歴史的に、中世までの諸侯や貴族、教会の権力が地方に乱立し、分権的であった状態から王が強大な権力を持って中央集権化を図り、中央官僚と常備軍(近衛兵)によって国家統一を成し遂げた時代に特徴的であった政治形態を指す。かつて、マルクス主義においては封建主義社会から資本主義社会への過渡期に現れたと位置づけられ、近年は社団国家などの概念を通じて説明されることが多い。
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一般的に「絶対王政期」「絶対王政の時代」とは、西ヨーロッパにおける市民革命以前の時代を指す。おおよそ16世紀から17世紀にかけて到来し、イングランドのテューダー朝、フランスのブルボン朝、スウェーデンのヴァーサ王朝・プファルツ王朝などが挙げられる。とりわけ、ブルボン朝がその典型例とされ、1615年から1789年まで、身分制議会である三部会が召集されなかった。これは諸侯の権力の低下と、国王の権力があらゆる権力に優先したことを示している。フランス王ルイ14世が諌言する家臣に言った「朕は国家なり」という言葉(「そんなことをなさっては国家と民のためになりません」に対して「民だけでいい」に続いて言ったとされる)は、この状況を端的に表現しているとされた。

ただし、実際には王権が絶対であったわけではない。王権の絶対性は、貴族・ギルドなど特権を有する諸団体(社団)が統治に協力することで成立していたが、彼らは常に従順な協力者ではなかった。例えば、イングランドではマグナ・カルタに基づく議会の課税承認権を盾として財政的な制約に悩まされ続け(ただし、議会側の抵抗も当初は保守的な封建主義的な見地からのものが主であった)、またフランスで免税特権の剥奪をルイ16世が図った際には、彼らは再び身分制議会である三部会を開催し、自らの特権擁護のために王に反発している。

2009年11月02日

陸上の生態系と水中の生態系の間も

陸上の生態系と水中の生態系の間も、魚食性の鳥や魚つき林などでつながっている。海鳥の糞に由来するグアノは昔から肥料として使われてきたし、海岸の「魚つき林」に由来する有機物が沿岸部の生態系を豊かにすることが明らかになってきた。

これらは生物間のつながりと同時に、エネルギーや炭素、窒素、リンなどの物質のつながりでもある。物質やエネルギーが順に受け渡される様から"連鎖"と表現される。

その区域の生物での食物連鎖を見渡すとき、すべての生物のエネルギーは、元をたどれば光合成に依存している。そしてそれを利用するものに、光合成するもの、それを食うもの、さらにそれを食うもの、のような段階があることがわかる。これを栄養段階と呼ぶ。
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生産者といくつかの段階の消費者、そして分解者という3つで構成される。

植物は、太陽のエネルギーと水と二酸化炭素を利用して光合成をおこない、デンプンや糖を作る。さらに、窒素や各種ミネラルを組み合わせて、タンパク質や脂肪などを作り出す。

植物(生産者)をえさにする草食動物が第一次消費者で、草食動物を食べる肉食動物が第二次消費者である。以後第三次、第四次…… となるが、第三次消費者が第一次消費者を捕食することもおこりうるし、雑食の動物もいるので、消費者間の捕食・被食の関係はとても複雑である。一般に高次の消費者ほど個体数が少ない。

2009年10月23日

学校博物館

学校博物館(がっこうはくぶつかん)とは、学校の空き教室を展示室として活用し、「学校博物館」として活用しているもの。茨城県や札幌市の取り組みが有名である。私立中学・高校にも存在する。

風早北部小学校や福岡県立朝倉高等学校博物館の例にもある通り、内容は通常の博物館と変らない。美術、民族学、考古学、歴史遺物と様々である。なお、『学校博物館百景』の著者は大学博物館も学校図書館であるという立場を取るが、通常はそのような立場は取らない。なお、大学に設置される博物館は研究施設としても博物館実習の場としても非常に有効である。このため学校博物館とは職員、設備に関し相当の差がある。
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杉並区立和泉中学校にて1996年から行われている『IZUMIWAKU project』その名も「学校美術館」である。この事業は校舎を一定期間借りて美術館とし、地元芸術家が作品を展示するという新しいタイプの学校博物館である。

「学校博物館」の一形態として既存の博物館のサテライトとして運用した、「サテライト型博物館」などもある。この博物館も学校の空き教室を活用している。

2009年06月22日

心のモジュール性

ジェリー・フォーダーが心のモジュール性を提唱すると、進化心理学者者はこれを支持した。そしてフォーダーが想定した以上のモジュールを仮定した。これを大量モジュール仮説(Massive Modular Hypothesis、MMH)と呼ぶ[7]。モジュールがどのように存在するか、高次の認知プロセスもモジュール化されているのか、モジュール同士がどれだけ独立しているかなど詳細には合意がない。以下の説明はレダ・コスミデス、ジョン・トゥービーらの想定するモジュールである。モジュールは通常、領域特異的、あるいは内容特異的システムなどと呼ばれる。より高次の認知能力や、極端な行動主義で想定されていた汎用学習装置は領域一般的システムなどと呼ばれる。
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領域一般的
情報処理装置は領域一般的であっても、同時に専門的機能を持つことがあり得る。それは多くのモジュールに作用することができる。古典的条件付けとオペラント条件付けは適例を提供する。伝統的な視点では、時間的・空間的な連続性が学習装置に刻みつけられると考えたが、適応主義的アプローチでは条件付けを引き起こすメカニズムは野生で効率的に採餌するために機能が特化されていると考える。報酬の量は餌を探し回る状況によって異なるために、上手く設計された装置は程度の違いに敏感でなくてはならず、採餌率の変化に気付かなければならない。
領域特異的
領域制限された装置は内容を与えられることができる。例えば人間の顔認識モジュールは幼児が両親の顔を見分けるのに役立つが、植物を認識するのには役に立たない。このような内容(や傾向)を含んだ専門領域は、内容のない推論システムよりも急速な学習を可能とする。
大量モジュール仮説では顔、感情、場所、動物、ヘビ、体の部位、果物と野菜、植物、血などを判即座に判別する認識モジュールがあると考える。また認知的発達の研究はいくつかの専門化された推論モジュールが存在することを示唆する。例えば素朴心理学、素朴生物学、素朴物理学、数の概念などである。自閉症や前頭葉を損傷した人は他者の心を推論するのが上手くないが、他の物理的推論能力はおおむね平常である。コスミデスらは人間の多目的で柔軟な思考と行動は、多数の進化的な専門システムを含む認知構造の上に成り立つと考える[4]が、ポール・ロジンのような他の人々は各モジュールの相互作用が一般認知能力だと考える。

2009年06月05日

選挙権の拡大につれ政党は次第に議会の外に応援団

「議会制」は大きく「評議会制」と「政党制」に分類されるが、現在ほとんどの国家は政党制によって政治が動いているため「議会」は「政党」とという存在に深く関わってくる。

「政党」は、ルソーなどの大陸の哲学者や、アメリカ合衆国の建国の父祖達には忌み嫌われたが、実際には議員同士の派閥から始まって次第に各国にも広まった。

選挙権の拡大につれ政党は次第に議会の外に応援団を持つようになり、逆に議会の外の勢力に利用されもするようになった。特に近代、「マス・デモクラシー」状態となると、政策を広く呼びかけ、選挙時には大量に有権者を動員するシステムとして、政党の存在意義はますます高まった。
また政党の選挙公約を通じて国民は意見を統合するようになり、それがために選挙公約を誓って当選した平議員に対して、公認権を握る政党指導部の権威は強まった。これが高じて議院内閣制の国では、政党を通じて国民が首相指名に関与できる事態に至った。

第二次世界大戦に至る道程で、特にイタリア王国、ナチス・ドイツで一党独裁制による暴走により「議会」が機能低下したという経験から、戦後一時期、政党制について懐疑的な考えも学界には広まった。だが現実政治では政党は行政府を支配し、その各種の政治資源分配機能を支配したため、よりますます強力となった。「議会」は結論の決まった議案を審議し、時間が来れば通過させる「ラバー・スタンプ(ゴム印)」とまで揶揄されるようになった。また行政府についても、与党議員の不当な介入を許しすぎている、汚職の温床となっている、等の批判が強まることにもなった。

諸国の法は20世紀に至って、ついに政党を議会制度に必須の団体と公認するようになり、逆に各種の補助金を出す国まで出現している。しかしその国の実情にあった政党制は何か、「議会」の審議機能の正常な運営といかに調和させるか、さらに行政府の公平な運営をどう確保するか、等どの国でも困難な模索が続いているのである。

「議会」を構成する議員の公務遂行においては、資質(立法能力、質問能力)だけではなく、廉直性(賄賂に関与しないなど)、さらには私生活上の道徳性についてまで、国民の厳しい監視を受けるに至っている。逆に国民の信望を集めた議会ほど強いものは、現代政治の中にはないと言えよう。

議会の権限は、行政府の権力集中に対する重要な牽制となっている。独裁をもくろむ権力者は議会の諸権限を剥奪しようとするし、議会の諸権限を剥奪した権力者は独裁者に転じる。近代以降の非民主主義体制は、上記の諸権限を実質的には備えていない弱い議会を持つ、あるいは議会を全く持たないことが多い。
旅行代理店 趣味 介護 化粧品 アレルギー 特産品 学習 交通 家庭教師 中国四国 豊胸 SOHO 脱毛 税理士 リラク アレルギー 住まい マッサージ 乗物 外国語 雑貨 通信教育 宿泊施設 香水 地域情報 プチ整形 弁護士 グルメ 開業 料理 審美歯科 墓地 調査 マッサージ お土産 生涯学習 飲料水 英会話 北海道東北 メイク 健康 豊胸 不動産 ペット 投資 運送 審美歯科 古着 リフレ おもちゃ

ただし、議会が強い権限を持つことが、そのまま民主主義体制を意味するわけではない。国民の中の少数派や多数派を排除する体制がある。初期の議会では、財産や納税額によって選挙権が制限されており、性別による制限は20世紀まで続き、人種による制限を持つ国もあった。また共産主義各国は特異な例であろうが、そこでは或る種の議会的組織(議会と名乗ることも珍しくない)が憲法上は強い権限と公平な選挙制度を持つものの、実際は選挙と選挙後の議会運営は単一または連立の与党に支配されており、かつ選挙の自由が実質的に制限され与党の内部構成も国民の多数派を排除していた、というものであった。

2009年05月01日

秀吉との父子関係について

秀頼が秀吉の実子ではないとする説が古くからいわれてきた。

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秀吉は農家の出身でもあることから戦国大名としては稀な非男色家であり、一方多くの女性を愛したとされている。例えばルイス・フロイスの「日本史」には「300名の側室を抱えていた」とあり、誇張が含まれているとしても相当数の女性が常時大坂城にいたようである。

しかし、その一方で淀殿との間以外に子ができず(長子羽柴秀勝ら長浜城時代の子の実在を疑う研究者も多い)、また、淀殿だけが2人の子供を生んでいることから、秀吉と秀頼の父子関係に対する疑問が唱えられたものと考えられる。なお、この場合、当然豊臣鶴松も秀吉の子とは考えにくい。秀頼については父子関係を否定する根拠の一つとして秀吉は朝鮮出兵のとき、母大政所の危篤時に帰京したのを除き、文禄元年4月から1年2ヶ月余り、名護屋城に滞在していたことが挙げられる。

では秀頼の実父は誰かという問いに対しては大野治長説と石田三成説が有名で(片桐且元とも)、珍説の類では徳川家康説、名古屋山三郎説がある。治長は淀殿と乳兄弟であったことや三成は淀殿の生家浅井氏の治めた近江出身でその才気を淀殿に買われていたといわれることなどがその主な理由である。特に治長は淀殿と密通していたとの記録もあることから、治長こそ実父であると考える学者は多い。ただし、こうした説の正当性を示す根拠は存在せず、江戸時代以降に豊臣家と縁故の武将の地位を不当に貶めるために、殊更論われたとも言われている。また、三成(且元とも)については淀殿が秀頼を妊娠した時期には文禄の役で朝鮮へ出兵していたため、秀頼との父子関係を合理的に否定することが出来る。

なお、秀吉との間に外見の類似性がないという見方については、前述の祖父母の血統に加えて信長が秀吉を「猿」と呼んでいたことは後世の創作とも言われており、この点は検証に値しない(※豊臣秀吉の項を参照)。

また、かつて秀吉に子がいない(少ない)ことは高台院に原因があるという考え方があったが、これは男尊女卑に基づく陋習であり、高台院以外の多くの女性との間にも子ができにくかった(長浜城時代の子を事実として含めれば、夭折した男児二人、女児一人が秀頼の前にいたことになる)ことから、やはり秀吉自身が子ができない(できにくい)体質であったと考えるべきだろう。

家康が秀吉死後(厳密には前田利家死後)すぐに豊臣家の勢力を削ぐことに傾注し、また、世情がそれに従い関ヶ原の戦いにおいて豊臣恩顧の多くの大名たちが家康側についたことも、当時既にそうした疑念が広まっていた傍証であるという考え方もある。

2009年04月17日

北元(ほくげん)

北元(ほくげん)は、1368年に、元(大元)の第14代大ハーン(1333年 - 1370年)のトゴン・テムル・ハーンが長江流域に興った明の北伐を逃れて大都(現在の北京)からモンゴル高原に撤退し、中国の漢民族定住農耕地域を失ってから後の元(モンゴル帝国)についての後世の呼び方のことである。北元の当事者たちは、自分たちは依然として元(大元)として自覚していた。

元(北元)では、1388年にトゴン・テムルの子トグス・テムル・ハーンがアリクブケ裔のイェスデルによって殺害されて大ハーン位を簒奪され、クビライ裔の皇統が一時的に断絶した。事実としては1388年以降もモンゴルには元の皇帝の後継者を名乗る大ハーンが立ち続けていたが、中国の漢民族地域を支配した明は、モンゴル人による中国王朝である元は1368年のモンゴル高原への北走によって正統中国王朝の地位を消失し、1388年の皇統断絶により完全に滅亡したとの立場を取り、モンゴル自身はモンゴルを自称とし続けたにもかかわらず、これ以降のモンゴルのことを元代の彼らの自称であった蒙古の漢字を用いて呼ぶことを拒否し、韃靼(だったん。本来はモンゴル高原の一遊牧部族タタル部のこと)と呼んだ。明の歴史を記した『明史』でも、この時代のモンゴルの歴史は「韃靼伝」に記されている。日本でも明史の用例に倣い、一般的には、1388年をもって北元は滅亡したと見なし、以降のモンゴルを韃靼あるいはタタールと呼んできた。しかし、中国では、清の時代にはモンゴルの音訳である蒙古の名が復活しているように、モンゴルを韃靼あるいはタタールと呼び変えたことは、あくまで元の連続性を否定する必要があった明代特有の事情によるものに過ぎない。

大ハーンの称号を帯びるチンギス・ハーンの男系子孫がモンゴル諸部族全体の最高君主として君臨する時代は1634年まで続くが、モンゴル史研究者の間では、この時期のモンゴルの大ハーン政権のことを北元と呼ぶことが多い。本記事ではこの意味での北元について詳述する。
元の北走 [編集]
1368年初頭に南京で明を建国した朱元璋は、皇帝に即位するとすぐに徐達を司令官として、既に中国の支配をほとんど喪失していた元に対する北伐軍を派遣した。元のトゴン・テムルは大都からモンゴル高原にある夏の都上都へと逃れたが、翌1369年には常遇春に敗れてさらに応昌府に逃れた。

トゴン・テムル・ハーン(廟号は恵宗)が1370年に死ぬと、明はトゴン・テムルに「天意に順じ明に帝位を譲った」という意味の順帝という諡号を贈り、トゴン・テムルに代わってハーンに即位した昭宗アユルシリダラを「故元太子」と呼んで元主と認めなかった。しかし、明の主張の一方で、元(北元)は依然としてモンゴル高原の遊牧勢力の君主として強大な軍事力を持っており、1372年には明がモンゴル高原に送った北伐軍を撃退した。

この時点で元(北元)の勢力は中国の北方から甘粛、雲南まで維持しており、江南と華北をようやく制覇したに過ぎない明を取り囲むようにして南北に対峙していた。とくに東北地区(満州)には数十万の大軍を擁する元(北元)の大尉であるジャライル部のナガチュの勢力が健在であり、明や高麗は北辺をナガチュの大軍にしばしば脅かされた。高麗ではナガチュの軍事的脅威を受けて明と通好する一方で元(北元)とも通好し、その正朔を奉じることもあったほどである。

1378年にアユルシリダラが死んで天元帝トクズ・テムルが即位する頃から元(北元)は衰えを見せ、明が満州を制圧してモンゴル高原東部に勢力を伸ばすことを許した。1387年、元(北元)のナガチュは明軍の大攻勢を受けてついに明に降り、ナガチュ救援のために高原東部のホロンボイル地方に進出していたトグス・テムル・ハーンも翌年初頭に明の将軍藍玉の奇襲を受けて敗れた。トグス・テムルは敗走の途上でクビライとハーン位を争って敗れたアリクブケの子孫にあたるイェスデルの手によって殺害され、クビライの王統は断絶する。

タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら